潜酔士の思いつくままV


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2010年5月26日(水)
伯父の死。
先週の土曜日、亡き母の兄の伯父が亡くなった。
7人兄弟の3番目、長男であった。

私の母は、2004年5月10日に亡くなった。
ダイビング旅行から帰って来た次の日のことだった。
父は24年前に亡くなっている。

7人兄弟の一番下の伯父が一番早く亡くなった。
次が私の母であった、兄弟では4番目に生まれた。

まだ、他の兄弟の人達は健在であったので、
私は母の変わりに伯父・伯母さんと兄弟の付き合いを
する事になった。

健在の伯父より連絡があり(危ないとは聞いていた)
伯父の死を知った。
教育者であり、画家・短歌・大工・・・・
多趣味。多才の人であった。

小学校〜中学校にかけてよく世話になった。
色々な話をしてくれた。
亡き伯父の一人息子は私の2歳下だ。
従弟ともよく遊んだ。

私が獣医の大学に合格した時、我が子の様に喜んでくれた。
図書券をビックリするくらい贈ってくれた。
長い手紙が添えられていた。

感謝しなさい、特に「親」、世話になった人。

感謝・感謝で生きてきた人だったと後で聞いた。


告別式の最後、喪主(従弟)のお礼の挨拶があった。

「大好きな親父でした。尊敬できる親父でした」
「その親父が亡くなって悔しいです。寂しいです」。。。。。。

我慢していた「涙」が止まらなくなった。


育てた息子に「大好きでした。尊敬していました」
と、言われる。
本当に、立派な人でした。


私も成りたい、伯父さんの様に。

「大好きだった、尊敬してました」
と、残した家族の言ってもらえる様な人に????

   無理か!


        南無大師遍照金剛

フレーム
2010年1月25日(月)
心の問題?体の問題?
長い間、書く気がしなくて、、、、、

一日中ではないのだが、四六時中とは違う。
ほんの一瞬ではあるが、心に冷たい風が吹く。

冷やぁとして胸が痛くなる、そしてなんとも言えぬ
寂しさに襲われる。

そして、お決まりの「酒」に逃げる。
情け無い限りである。

そんな生活を続けていたら、付けが回って来た。。。。
体調が、、、
体がだるい、酒が抜けない涙

けど、呑む。

空元気で頑張るも、やはりどこか心に引っかかる。

胃は痛い&血圧は上がるは、、、
もう俺の人生も終わりかとの考えが浮かんだりもした涙


今年の正月は、久しぶりに日本でと考えてはいたが、
「何処かで気分転換でもしてきたら」と言われわーい(嬉しい顔)
フィリピンは「プエルト・ガレラ」に行って来た。

やはり疲れ(心&体)は抜けぬ、、、、
ほとんど寝ていた。
午前中に2本潜り、昼寝。
夕方から呑んで、早寝。

どこか楽しめない涙

原因は「体調」だ。

目標、健康を取り戻そう。

体に良い事をしなければ。

運動(体調が良くなければ出来ない)
酒を控える(週二回抜く)

何かサプリメントでも取ろう。
始めました。
大麦若葉。
ミルク牡蠣。
γーアミノ酸・・血圧↓

なんと、なんと、1週間で効果がわーい(嬉しい顔)

体が元気になると、自然に心も前向きに。

やはり後ろ向きに歩くなんて、歩き難い。
疲れるだけだ。
まだまだ、頑張れる。

「生涯青春」で生きたいものだ指でOK

奥さんは、「母の会」で2月1日からソウルだ。
楽しんで行ってきて下さい。

もしかすると、2月の旅行の許可が、、、
淡い期待が脳裏を横切ったりしてウインク

旅のシュミレーションは充分過ぎるほど
出来てはいるのだが。

そして昨日、24日は「高木麻早」さんの
LIVEを聴きに行ってきたるんるん
CHIKEN GEORGE。

35年ぶりのLIVEだ。
あの「声」は健在だった。キーも昔のままだった。

70名の観衆で昔のLIVEを見た事がある人は、
私を入れてたった2人だった。

「想いでが多すぎて」・「コーラが少し」・「好きだと言えないの」
二十歳の時に戻った。

まだまだ、若くありたいと思う。

フィリピンかタイか、何故か悩む?